小野瀬 健資(K’s MUSIC主宰)は、プロドラマーとして活動しないのですか?
日本のトップドラマーとして名高い方々からも、
「小野瀬さんは、絶対現役に戻るべきですよ!僕らにきた仕事を幾らでもまわしますから、現役に戻りましょうよ!」 という、ドラマーであれば誰でも飛びつきたくなるような話を頂いたりもします。
しかし、小野瀬は決して首を縦に振ろうとはしないのです。
ではなぜ、小野瀬は「そこまでかたくなにプロ活動を拒み続けるのか?」という疑問が沸いてきてしまうと思いますが、「小野瀬の経歴を説明する事が、その回答」になると思いますので、簡単に説明させて頂きます。
若き日の小野瀬は、「プロの世界は実力だけが全てだ!!」 と信じ込み、人体力学を基に音楽表現を追求し、18歳でプロの世界に足を踏み入れました。「その頃の音楽業界」 は、小野瀬の思い描いていた通りの『厳しい実力の世界そのもの!』であり、スタジオ界で一流とされた先輩ミュージシャン達にも鍛えられ、学ぶ事も多く、とても充実した活動ができていたようです。
ですが、その2年後に 「ドラムマシン」 が登場し、当時全て生ドラムで行っていた録音が、次々と”打ち込み”に変わっていきました。その急激な勢いは、当時スタジオ界で一番売れていたドラマーさん達の仕事でさえ、ほとんど無くなってしまったほどだったのです。その瞬間、それまでの業界とは全く変わり、「仕事を打ち上げ等のお酒の席で取る」事や「ギャラを今までの半額以下にダンピングしてでも、仕事を取る」という風潮まで、業界全体に出てきたのです。つまり、「社交力や交渉力も実力のうちという時代」になってきたのです。
しかし、「音楽だけ!」に全てを懸けていた小野瀬は、社交下手であり、若さゆえの純粋さも災いして、どうしてもそれを受け入れる事ができませんでした。「音楽に命を懸けていた!」と言っても大袈裟ではなかった、当時の小野瀬にとって、そのショックは大き過ぎたようで、22歳の若さで、完全に現役を引退してしまい、その後6〜7年もの間、スティックも一切持たず、音楽とは全く無縁の仕事をしていたのです。
ですがある時、小野瀬の演奏力が脳裏に焼きついていた業界系の知人達から、
「お前の演奏が、どんなジャンルをやっても完成度が異常に高かったのは、何か秘密があったからじゃないのか?」と問いただされてしまい、その時初めて、現役時代は完全に秘密にしていた理論を、わずか数人のドラマーに明かしてしまいました。そして、それが話題となり 「教えてほしい」 というドラマーさん達が口コミで増え、ドラム人間科学が始まったのです。
何はともあれ、ある種、偶然的に、K’s MUSICドラム人間科学が発足し、”本人の意志とは裏腹”に、小野瀬は再びドラムに関わる事となったのです。(ですから、当時の小野瀬は、K’s MUSICが現在のように100人以上も生徒さんを抱えるドラムスクールに成長するとは、全く思ってもいなかったようですが・・・)
しかし、音楽表現をドラムを通じて教えるようにはなったものの、プロ活動に完全に”ピリオド”を打ってしまった小野瀬は、今さらもう一度現役に戻ってプレイする気にまでは、どうしてもなれないようです。(というより小野瀬は、今さらドラムに対してはあまり興味がないらしく、ドラムの練習さえ全くしないのです。それよりも、ギターやベースを弾くのが楽しくて仕方がないようで、そっちの練習ばかりしているので困りものです。(苦笑))
それに加え、小野瀬は、ドラマーとして顔まで売れてしまうのを”極端に嫌がる”ので、HP上の動画や写真も、実は我々スタッフが『ドラム人間科学の理論の実証のためなんですよ!!』と、嫌がる小野瀬を無理矢理、出演させているのですよ!ですから、小野瀬は撮影の際、『もっと顔がわかりづらいように撮ってよ〜!』と、いちいち文句を言いまくって、我々スタッフを困らせています(笑)
このような経緯から、現役を拒み続けてはいるものの、それでも小野瀬がトップドラマーやメジャーなプロドラマーの方々からドラムレッスンを依頼されるのは、ひとえに、音楽に全てを捧げていた若き日の小野瀬が完成させた、「人体力学に基づいたドラム人間科学の理論での音楽表現」が、トッププロの方々から見ても、大変水準が高いものであるという証明ではないでしょうか。